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ふるさと百科 能登川てんこもり 【自然】

自然 Nature

自然 Nature(PDF 19.8KB)

東経136度10分、北緯35度09分に位置し、年間の平均気温は15.4度。春夏秋冬の季節感はかなりはっきりした、比較的温和な自然環境を持つ町と言ってよいでしょう。
東に鈴鹿連峰、西には琵琶湖を望むことができます。
そんな能登川の素晴らしい風景、それは日頃見慣れた風景であっても、 カメラを通して見ると一段とその美しさを増してきます。そして、ちょっと アングルを変えて見てみると、また新たな感動が湧き出てきます。20年前 30年前の記憶がその画面にオーバーラップしてくるからです。
風景は、緩急の差はあれど変化しています。そして、その変化を肌で感じ ることによって、将来に悔いのない風景を残していくべきだと思います。

Nature  
Situated 136.10degrees east longitude,35.09 degrees north latitude with an average yearly temperature of 15.4degrees, Notogawa is a town said to have a comparatively mild climate, but with four distinct seasons.
The beauty increases when looking at Notogawa through a camera. By changing the angle a little of a common scene ,a new impression springs out as 20 to 30 year old memories are revived.The scenery is changing all the time due to the variety of the climate.Some scenery changes quickly and some slowly,but every thing changes in the end.I hope the scenery will not be one that I will regret.

【空を仰ぐマーガレット(佐野)】

春 Spring(PDF 179KB)

【春くれない】
【伊庭陽春】
【新緑猪子山】
【春うらら】
【緑薫る】
【桜楽しむ】
【春の水車】
【田植え始まる】
【猪子山春秋】

夏 Summer(PDF 175KB)

【琵琶湖より能登川町を望む】
【静寂もどる頃】
【ネムの木と水車】
【ヤブカンゾウと繖山】
【2本の木】
【猪子山夏冬】

秋 Autumn(PDF 184KB)

【穫り入れ】
【秋薫る】
【紅葉狩】
【秋暮れる】
【秋の水車】
【煙る繖山】
【須田の秋冬】

冬 Winter(PDF 185KB)

【白い屋根】
【上山神社白銀】
【不動の滝凍る】
【春恋し】
【冬枯れ】
【湖辺白雪】
【比良眺望】
【雪猪子山麓】
【五十餘州神社夏冬】

◆能登川の生物

◆能登川の生物 Notogawa’s Wildlife(PDF 304KB)

能登川町には、琵琶湖につながる水路や愛知川の湧き水の流れる水路が多くあり、昔から多くの魚がすんでいました。また、愛知川の堤防や繖山にはさまざまな昆虫も見られます。
現在では、これらの生物を保護することが課題となってきました。

◆内湖で見られる魚たち

●ニゴロブナ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ(コイ科)
近江特産で、能登川でも愛好家の多い鮒ずしは、元来ニゴロブナ(イオ)という琵琶湖固有のフナを材料にしたものでした。
しかし、ニゴロブナは年々数を減らし、現在では鮒ずしは高価な食べ物のひとつとなってしまいました。大中の湖が干拓されるまでは、葭地を産卵の場とするフナたちが、春先に群れをなしてやってきたそうです。
内湖では、現在でもフナがとれます。ギンブナ(ヒワラ)がいちばん多く、ゲンゴロウブナ(ヘラ)、ニゴロブナ(イオ)、どれも数は減り、現在、大きな課題となっています。
また、コイも多くいます。フナやコイは植物プランクトンや動物プランクトン、小動物などを食べ、水質が汚れても適応できますが、産卵できるところやすみ家となるオダ(枯れ木などが水中にあるところ)やウロ(隠れ家となる窪みや穴)がなくなったら生きられません。とくにゲンゴロウブナとニゴロブナは琵琶湖の固有種で、全国で釣られているヘラブナの元祖は琵琶湖から送られたものです。
内湖では、フナ、コイ以外にオイカワ、モツゴ、カムルチーなどが見られます。

●ブルーギル(バス科)
現在の内湖にいちばん多く見られる魚はブルーギルです。この魚は、外来魚で北米原産、動くものに敏感なため、ルアーフィッシングの対象として最適で多くの釣り人が内湖を訪れています。ブルーギルの名はエラブタの縁に青い大きな斑紋があるため、この名がつきました。昭和35年(1960)に日本に移入されて、底生動物や稚魚を食べどんどん繁殖しています。

●オオクチバス(バス科)
ブルーギルと同じ北米からの外来魚オオクチバス(ブラックバス)は、数は減少してきたもののエビやカエル、小魚、ザリガニなどを食べてしまう魚で、これもルアーフィッシングの対象となっています。大正14年(1925)に移入され、内湖でもよく釣れます。
近縁種のコクチバスも増えてきました。調理を工夫すれば、おいしい魚です。

ニゴロブナ ゲンゴロウブナに似ていることからこの名がつきました。
ギンブナ(ヒワラ) いまいちばん多くとれるフナです。
鯛のようにきれいな魚・ブルーギル
ルアーフィッシングの対象オオクチバス

◆存在の貴重な魚たち

●タナゴ(コイ科)
琵琶湖の周りの河川にはタナゴがたくさんいました。とくにイチモンジタナゴなど細いからだのタナゴは、ボテジャコと呼ばれ、親しまれてきました。
タナゴの多くは日本固有種ですが、外来種のタイリクバラタナゴなども入ってきています。よく似ているので、見分けはとてもむずかしいです。
しかし、いまではそのタナゴ類そのものがあまり見つかりません。
明治の頃に内湖を中心に生息していたイタセンパラ(ビワタナゴ:天然記念物に指定)は、もともと琵琶湖の固有種でありながら、内湖の干拓やタイリクバラタナゴの影響で、すでに戦前の段階で琵琶湖周辺から絶滅しています。また、ニッポンバラタナゴもいまではまったく見ることができません。

●ハリヨ(トゲウオ科)
ハリヨは、絶滅のおそれのある生物をリストアップしたレッドデータブックに、危急種として掲載されているほど希少な魚です。
とげがあって、尾の根元がとても細いのが特徴です。湧き水の池やその下流にすみ、水草の生えるあたりに産卵します。
以前は、岐阜・滋賀・三重の3県にすんでいましたが、湧き水の減少とともに生息も少なくなり、岐阜と滋賀の一部にしか生息していません。
というのも、この魚は元来北方系の魚で、夏の水温の上昇に耐える力があまりないのです。ですから、年中水温が安定している湧き水の中でしかすめません。能登川町垣見地区の湧き水で生息が確認されていますが、観賞のために捕獲することなどはさけ、自然の中で生息を見守りたいものです。

●ムギツク(コイ科)
別名イシコツキと言います。
頭が平べったく、口から尾びれまで青黒色の縦じまがあり、口にはひげがあります。トビケラやユスリカなどの川の底にすむ水生昆虫を、石をこつくように逆立ちをしてとって食べます。
この魚は、ドンコの巣に集団で産卵して卵を保護させる、托卵という珍しい習性をもっています。しかし、ドンコがあまりいなくなったため、この魚も貴重な魚となりました。滋賀県、福井県、三重県以西にしかいないので、能登川町はこの魚の生息の東限にあたります。
愛知川の湧き水や、美しい水の流れる川で、石や水草を隠れ家にしながら、現在もすんでいます。

タイリクバラタナゴ 外来種でビワタナゴに影響を与えたものの、少なくなってしまいました。
湧き水でしか生きられない魚・ハリヨ
ムギツク 口が小さくクチボソと言うところもあります。

◆川や水路で見られる魚たち

●カワムツ(コイ科)
うろこのはっきりした銀色に光った魚です。深いあい色の縦じまがあります。
オスは、口の近くに「おい星」というブツブツができることがあります。
オスとメスの結婚する時期にはからだが赤くなり(婚姻色)、アカムツと言われることがあります。
カワムツとよく似た魚にオイカワという魚がいます。カワムツとオイカワの見分け方は、カワムツが縦じま(頭から尾へのしま)なのに対し、オイカワは横じまになっていることです。また、オイカワは水流のゆっくりしたところにすむ傾向があります。
オイカワは、ジャコずしにするとおいしいのですが、このカワムツは油っこくておいしくありません。

●ヨシノボリ(ハゼ科)
腹びれが吸ばんになっていて、いろいろなところにくっついているのが特徴です。尾の近くがオレンジ色になっていて、トウヨシノボリ(橙ヨシノボリ)とも言います。
この種類の魚は、数多く見られます。大型のドンコ(体長15センチ)やウキゴリ(体長12センチ)も仲間ですし、琵琶湖でとれるイサザも仲間です。
この種類は、ゴリと総称されたり、イシビショウと言われたり、ウロリと言われたりしています。名前にかかわらず、つくだ煮やあめだきにしてよく食べられるおいしい魚です。
そのほか、タモロコやメダカなどを見ることができました。メダカはカダヤシやグッピーといった魚の放流で生息がむずかしくなっています。

●アブラハヤ(コイ科)
アブラメとも言います。水の比較的冷たいところにすんでいます。
茶色っぽい色で、うろこが小さくてはっきりせず、油を塗ったようにぬるぬるしています。黒っぽい縦じまがあるのが目立ちます。
雑食性で、水生昆虫や水中のコケでも食べます。いつも群れで生活していて、石の下や木の陰などに隠れています。
産卵も集団で行うため、砂や小石の中に埋め込まれなかった卵は浮遊し、多くの魚の餌となってしまいます。町内でも、比較的水のきれいなところならたくさん見られます。
ほかにタカハヤという近縁種がいますが、オイカワやカワムツでも、ハヤとか、ハエと言うことがあります。ハヤとかハエという名は、速く泳ぐ魚をさしているそうです。

カワムツ 少しぐらいの汚れには適応できるたくましい魚です。
ヨシノボリ 岩かげや砂地にすみ、小型の水生昆虫や付着藻類を食べます。
アブラハヤ 餌をつけない釣り針でも食いつく魚です。

◆カニと昆虫

●サワガニ
水の美しいところにしかすめない、淡水に生息するカニです。甲羅の幅は40~50ミリで、色は赤みがかったものや青みがかったものなど、その生息場所の環境に応じて変化することができるようです。
能登川町では、水のきれいな繖山の谷川と愛知川の湧き水の出る場所で観察できます。

●ハッチョウトンボ
トンボの仲間の中で、羽を広げて止まる種類(不均翅類)の中で最も小さく、13ミリ内外しかありません。
オスのからだは最初橙黄色ですが、成熟すると鮮やかな紅色に変わります。メスのからだは黄色で、黒色と褐色の斑紋があってオスとはまったく異なります。通常、食虫植物のはえた湿原に生息しますが、分布は限られていて、町内でも山地部の一部でしか観察できません。

●ゲンジボタル
ゲンジボタルは、住居の近くのやや雑排水の流れる川や水路に生息してきました。
幼虫は、カワニナという細長い巻き貝を食べて大きくなり、やがて土手の土の中で蛹となります。
5月下旬から6月上旬に成虫となって、輝きながら川の周辺を舞います。
とても美しい風景ですが、近年は一部の地域でしか見られなくなりました。
調査してみると、自然のままの川でしか発生しないということがわかっています。河川改修されたきれいな川では、ホタルはすめないのです。

●ゴマダラカミキリ
甲虫目カミキリムシ科。体長25~35ミリで、カミキリムシの中では最も代表的な虫です。からだは光沢ある黒色をしています。上の翅はとても堅く、黒の地に白色の紋があります。下の翅は薄く、飛びやすい形をしているので、長い距離を飛ぶことができます。幼虫はミカン類・イチジク・クワなどの樹幹を食べてしまいます。成虫は夏に出現し、これらの小枝を食べます。夏、街灯によく集まります。各地にふつうに分布する昆虫ですが、生息域の愛知川の林が伐採され、減少しています。

【サワガニ】
【ハッチョウトンボ】
【ゲンジボタルの乱舞】
【ゴマダラカミキリ(「昆虫」成美堂出版より)海野和男】

◆振り返ってみればもう昔

◆振り返ってみればもう昔 Looking back,it seems so long ago(PDF 201KB)

自然の豊かな田園は、ほ場整備でごばんの目のように整地され、大中・小中の湖は干拓によって陸化され大農場に変わりました。
また、水の恩恵を与えてくれる愛知川は、ときには大氾濫を起こし住民を困らせました。

【大中の湖の干拓】

琵琶湖周辺には、大中の湖をはじめとする水深2メートル前後の内湖や入江が40個くらいありました。これらの内湖は、魚貝類の繁殖場であり、また、河川から流れこむ汚水をいったんくいとめ浄化する役目もはたしていました。ところが、第2次世界大戦になって、食糧不足が深刻になってくると、その対策と失業者救済もかねて、昭和22年(1947)に小中の湖を干拓し、続いて39年6月に大中の湖も湖底を見せ、大農場へと変貌しました。
昭和41年に216戸(うち能登川町大中地区北部集落は72戸)が入植、多くの時間と費用をかけた干拓事業は完成しました。

かつての内湖はいまは緑豊かな水田となっています。
田舟でも内湖を通って近江八幡へ行き来していました。
昔は漁場だった内湖も多くの人の努力によって大農場になりました。
1戸あたり4ヘクタールを大型機械を使って経営し、稲作を中心に、花や野菜の栽培、肉牛の飼育など、幅広い生産をしています。

◆小中の湖の干拓

小中の湖干拓の堤防の桜並木に、かつて美空ひばりさんらが映画ロケに来たことがあります。
東海道本線の近くまで小中の湖は迫っていました。干拓されて50余年、昔を偲(しの)ぶものはほとんどありません。

【港】
【湖上交通の拠点と漁港】

●能登川港
通称「浜能登川」と呼ばれるように、ここには港がありました。小中の湖、大中の湖、そして琵琶湖へと通じていたのです。いまの「琵琶湖汽船」の前身の「太湖汽船」の支社もあり、船問屋の蔵が建ち並び、運送業者の馬車や荷車が行き交ってにぎやかでした。西江州(湖西地方)の北小松のみかげ石や炭、薪、日用品など何でも扱っていました。現在、港の面影はなく、港跡は公園や駐車場になっていて、石垣がわずかに残っているだけです。

●漁 港
伊庭、乙女浜、福堂、栗見新田、栗見出在家などにあった漁港を統合し、昭和28年(1953)に「能登川漁業協同組合」をつくりました。現在の漁港は栗見新田の樋門拡幅工事に伴い、平成3年(1991)3月に栗見出在家地先に建設されたものです。この周辺でとれた魚介類はここから出荷されます。
以前は100名をこえていた組合員も、いまは40名余りに減りました。

●伊庭港やその他の港
内湖に面した集落は、それぞれに港をもって発展していましたが、いまは衰退し、その面影はほとんど見かけることができません。ただ、盛んだった頃に湖上交通の安全を祈願するため、四国の琴平と同じ金刀比羅神社が、伊庭地先にまつられました。「湖水安穏」と書かれた灯籠も現在残っています。

【ここにある郵便局は、いまも「能登川港郵便局」と言います。】
【灯籠「湖水安穏」と刻まれています。】
【金刀比羅神社】
【栗見出在家地先に建設された漁業協同組合の建物と漁港】

◆愛知川の水害

◆愛知川の水害(PDF 356KB)

愛知川は、私たちの生活にたくさんの恵みを与えてくれますもういが、ときとして、自然の猛威を見せつけることがあります。
水害がそれです。急な増水に耐えきれないで、堤防が決壊し、田畑や住宅を襲い、住民を苦しめてきました。
いまも治水事業は大きな課題です。

●明治29年(1896)9月の水害
いまからちょうど100年前のこの年は、8月までに1年分の雨量があったうえに、9月3日から12日間豪雨が降り続き、琵琶湖の常水位を3メートル以上も上回る驚異的な水位(県の記録は3.76メートル)を記録しました。
この大豪雨で滋賀県全域に被害が出て、湖岸の村落や田畑は水没したり流失しました。琵琶湖から流れ出る瀬田川に、まだ南郷洗堰がなく、水量調節ができなかったので、水位がもとに戻るまで8カ月もかかったそうです。

●昭和13年(1938)8月2日、9月5日の水害
福堂付近の愛知川堤防が200メートルあまり決壊し、旧栗見村(現在の北小学区)全体に浸水し孤立しました。仮堤防ができた後、再び決壊するという二度の被害を受けました。「栗見全村が、水深4尺(約1.2 m)浸水したため、村内の子どもは全部伊庭村の繖小学校へ避難し、大人のみとどまって復興に努めた。文字通り水地獄を現出している」と、当時の新聞が報じています。

決壊した堤防は、村人たちの総出(そうで)と近隣の村からの多くの応援を得て復興されました(昭和13年9月撮影)。
小川にある八宮赤山神社の浸水碑当時(昭和13年)のようすを報じた「大阪毎日新聞」の記事昭和13年、堤防は決壊し、田畑は海と化しました。
現在、福堂の堤防には復興碑が建てられています。

●昭和28年(1953)9月25日 ―台風13号による水害
愛知川の堤防が神郷と福堂付近で決壊し、あふれた水が大中の湖に入り、さらに、小中の湖干拓地の中洲と須田の堤防を破壊して浸水したため、干拓地はもとの湖のようになりました。

●平成2年(1990)9月19日―台風19号による水害
今地先と栗見新田付近の愛知川堤防が決壊し、収穫中だった水田や住宅に大きな被害が出ました。また日本電気硝子の大駐車場も直撃を受け、たくさんの車が流され、犠牲者も出ました。この会社やまわりの工場も浸水のため一時操業ができなくなりました。

小中の湖の堤防が決壊したため、田畑は冠水しました。少しでも収穫を願う人たちは、水面に浮かぶ稲穂を田舟で刈りました。
もとの湖のようになった中洲地区堤防の決壊で、駐車場の車が100台余り流されました。
田畑や道路まで冠水し、一面海と化し、集落も孤立しました。
愛知川の治水対策は、いつの時代でも多くの費用と労力が必要でした(栗見橋から下流を望むところの護岸工事も完成し、河川敷には「ふれあい運動公園」も整備されました)。

◆昔の写真をたどれば

◆昔の写真をたどれば(PDF 1.16MB)

写真がフランスで発明されて170年になります。それから急速に発達し、普及して、いまでは誰でも簡単に撮れるようになり、カラー写真も日常化しています。
映像として残しておくと、さまざまな情報が保存されますが、少し昔は、写真機も高価で持っている人も少なく、大変貴重なものでした。また、保存されている写真も多くありません。その貴重な写真を町内のみなさんが提供してくださいましたので、それを通して昔を偲んでみましょう。

1 主に湖岸沿いの集落には縦横に水路がはしり、田舟が大きな役目をはたしていました(栗見出在家)。
2 水路は、田んぼへ続いていて農作業をするのも、収穫物を運搬するのもすべて田舟を使いました。
3 ゆるやかに水は流れ、ほとんどの家が生活水として、洗い物や風呂の水、場合によっては飲み水として使っていました(福堂)。
4 親戚や近所の人たちと一緒に、お弁当やおやつを積み込んで田舟で出かけるのも楽しみのひとつでした。
5 水の流れを利用して水車を回し、精米する米屋さんもありました(山路の河崎家)。
6 「猫の手も借りたい」というほど忙しかったのが農家の秋の穫入れの時期でした。農作業は機械化が遅れていたため、ほとんどが手作業でした。
お年寄りも子どもも全員田んぼに出て働きました(昭和30年頃)。
7 誘蛾灯。害虫駆除は大変でした(昭和14年頃)。
8 子どもは学校が終わるとカバンを持って田んぼへ行き、手伝ったり親のそばで遊んだりしました(昭和22年頃)。
9 春になるといっせいに苗代つくりがはじまり、農家は忙しくなります。
10 ニワトリは、農家だけでなくどこの家でも飼いました。タマゴは、大切なタンパク源だったからです(昭和35年頃)。
11 農家は、家のそばに農小屋と広場(干し場)を持っていて、穀物や豆類を干しました(昭和13年10月7日)。
12 ボンネットバスも見られる能登川駅(昭和27年頃)
13 愛知川の洪水で、土砂をトロッコ列車で運搬しました。
14 町内で最初にできた能登川港郵便局
15 梵鐘供出
16 棟上げの日、たくさんの人が手伝っています。
17 新しい橋(陣屋橋)ができ、村中でお祝いしました(伊庭)。

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